鳥頭国放浪記①序文

 

 旅は快調な滑り出し・・・に思えた。なぜなら出発前、関西空港のエミレーツラウンジったら、生ビールは、マシンが最適の角度でオートマチックにグラスに注いでくれるわ、おつまみはたくさん種類があってうまいわ、シャンパンは無料だわ、いたれりつくせりとはこのこと。

 のちに鳥頭(とりあたま)(こく)とりあたまこく。訳は後述するがブラジルのこと)での滞在中、このような日本的快適さは「なんちゅうゼータク」なことであるいやというほど思い知らされたのだった。  なんせ食堂でビールを注文しますわな、「うん、せるべーじゃ、ぼえみお、ぽるふぁぼーる」(ボヘミオという銘柄のビールを1本おねがいします)と頼んだとする。そのウェイトレスのかわいいネーチャンは3歩あるくうちに銘柄を忘れ、違う銘柄のビールを持ってくる。 そこはそれ飲み食いにはちょいとこだわるアタクシ最初のうちは訂正して希望の銘柄を持ってきてもらおうとしましたとも。そのうち、それが困難なことと理解してからは「ああ、銘柄は違うけど冷えたビールには違いないああ、ありがたい。ナンマンダブナンマンダブ・・・」解脱するのであります。あるいはタクシーみんなで乗り合わせたとき。1番目はここで降ろして、んで2番目はここね」などと最初に運ちゃんに言ってしまうのは非常にキケンで、最後に言った目的地に先に連れて行かれる可能性大。目的地は、ひとつ終わったらそのつぎをおもむろに言う、という配慮が必要となる。もちろんそんなひとばかりではないのだが、普通一般はこんな感じとおもってもよい。 つまりは鳥頭なのだ。歩あるいたらそれまでのことがらを忘れてしまうモノドモがあふれんばかりの微笑と過剰なオセッカイで我々に襲い掛かってきた国。ブラジル。ああ、ニホンってなんて快適でせせこましいのでせう。

 

 この快適な国をあとになんで鳥頭国に脱出したのか。私の頭がトリアタマなのか。その考察も含め、大冒険の旅行記、はじまりはじまり。

鳥頭国放浪記②一日目、ドバイ~リオ

 

エミレーツ航空にて関空からドバイへ。

ドバイの町はまだ真夜中。街路灯がすべてオレンジ色に統一されており街全体が装飾的かつ人工的なうさんくささを立ち昇らせているが、いま人気の国だ。ここで2時間のトランジットのあと乗り換えして一気にリオか~。楽勝楽勝、シャワーでも浴びて・・・などというほんわかした考えはこのあと即座に打ち砕かれる。機をおりてすぐ最寄のエミレーツ職員にチケットを見せ「どこ?このフライトの、飛行機、乗る?」と聞くと「ワタシ、否定スル、知ルコト」といいやがるので「どうぞ、教えろ、どこ?調べる場所」と聞くと「見ロ、情報板」「どこ?情報板」「下ノ階、行ケ(命令形)」てなことで走った、降りた。えーと、情報板・・・じゃなかったインフォメーションボードはたしかにあった。しかし、どこを見てもないぞ、リオ。目を皿のようにして見たが、リオ行の便はない。なんでやねん、と頭の中で吐き捨てながら、またもや「I CAN HELP YOU」と背中に書いたTシャツを着た職員らしき青年に聞く。「我ら、乗りたい飛行機、リオ・デ・ジャネイロ、への」「アア、コレダヨ」「これはブエノス・アイレス行の飛行機」「シカリ。最初リオ。次ブエノス」「私、理解」「急グベキダ、走レ!(命令形)」右往左往するうちにあまり時間もなくなってきていたので、だだっぴろい空港内を走った。どこから迷い込んだか熱帯の鳥が飛び交う暑い空港内を走りましたとも。ゼイゼイゼイ・・・シャワーどころか汗だくや。それでもなんとか時間前にカウンター着。さあ乗り込むぞ。

機は定刻に離陸。1時間ほど飛ぶとアフリカ大陸に到達する。僕はアフリカ的な音楽や美術に憧れがあり、いまそのうえを飛んでるんだと思うと感慨がないでもない。しかし、本当の感動はそのあとだった。機はサハラ砂漠を横断しはじめた。眼下は砂、砂、また砂。じつに5時間ほど飛んでも砂漠は続いている。ややジーンとする。自分が地球規模で移動していることと、人智ではどうしようもない偉大な自然が横たわっているということ。当たり前ともいえることがらが眼下に広がっている。ジーン、うるっ、そのあとウトウトと仮眠。

 ドバイを出て約14時間。いよいよリオのグアナバラ湾が見えてきた。CAがシートベルトの点検に来る。機は急角度で懐かしい空港に降下していく。4年ぶりだ。その名は「アントニオ・カルロス・ジョビン・ガレオン空港」いよいよブラジルはリオ・デ・ジャネイロの地に降り立つ。

鳥頭国放浪記③二日目、コパカバーナ、ラパ

 

さて、問題のバゲージ・クライム。私のギターは無事出てきてくれるのか?まずスーツケースがあっけないほど早い段階で出てきた。しかーーーし、出てこない・・・ギターケース。人も荷物もまばらになったのに出てこない。係員が「こっち側にあると思う」というのでそっち側へ行くが、ア~ラ不思議。元いた場所に忽然とギターケースが置かれていた。「いやあ、これじゃなきゃブラジルの醍醐味はありませんよ~、はっはっは」などとブラジル菌に侵され始めた脳みそが思考しておる。

よっこらしょ。荷物を持ちタクシースタンドへ。勝手知ったるRADIO TAXI。ここは空港内の案内所で先に目的地までの料金を払いチケットを受け取る。それをドライバーに渡すというシステム。少々高いが最もトラブルが少ない、と定評のある会社だ。

タクシーはなつかしい風景のなかを快調に走る。サンボードロモ(カーニバルのサンバパレードのメイン会場)、シダージ・ド・サンバ(各チームの練習場所や倉庫が集約しているところ。先日火事になった)、ボタフォゴ(ヨットハーバーや代表的観光地のポン・ヂ・アスーカルなどがある絵葉書で定番の景色)、そしてそして、いよいよ宿舎のある麗しの海岸コパカバーナ!ホテルはウィンザー・プラザ・コパカバーナという前回もお世話になった中規模のホテル。4年前いろいろ面倒をみてくれたチャキチャキのカリオカMONA嬢はもういない。黒服の大きな黒人警備さんの横をすり抜け部屋へと急ぐ。まああんまりよい部屋でもないが良しとしよう。

夕方には現地合流する予定のピアノの鈴木さん(ブラジル音楽の泰斗でありバンドネオンの小松亮太さんのバックバンドメンバーでもある)、そして大阪のパーカッショニストでありエスペランサのメンバーでもあるヨシコちゃんと、このホテルのロビーに集合するのだ。

シャワーする・・・ああ、ひさしぶりな感じ。こざっぱりしてしまい、そのままベッドにつっぷしてウトウト・・・いけねえ!!!!待ち合わせにあと5分だあ!

急いでロビーに行き、鈴木さんとヨシコちゃんにコメツキバッタのようにペコペコ謝り遅刻をお詫びする。外に出てとなりの地区レーメのシーフード・レストランに入り、バカリャウ(タラまたはメルルーサのような白身魚)の煮物や焼き野菜。ビール、ワインなどを摂取する。地元客全員が、ヘンな日本人(チャイニーズとおもってるやつもいるだろな)がゲラゲラ笑いながら食事しているのを奇異な目で見ておる。食事が終わりライブハウスの集中するラパ地区へ移動。まあすさまじい人出とバス、タクシー、パトカー、物売り、ヤ○ザ、売○婦、こども、老人などなどがグシャグシャに行き交っている。僕はこころの底から愉快になってしまいヘラヘラ笑いっぱなし。どこに行こうかという話になり、鈴木さんの提案でラパで一番有名な「カリオカ・ダ・ジェマCarioca da Gema」に行くことになったが、ホンジツの演し物がわからない。そこでアタクシ、まったくポル語ができなくせに店員さんに「あなた、えいご、しゃべる?」と聞く。「NAO(いいえ)」との返事。この瞬間を待っていたワタクシすかさず、店の窓に浮かぶミュージシャンの影を指さしながら「SAMBA?」と聞くと「SIM(そうです)」との答え。これ幸いと4人はドヤドヤ店内へ。演奏していたのはベッチ・カルバーリョ風の歌い方をするボリューミーな女性歌手。サンバの定番曲を次々に演奏してくれて、我々も狂喜乱舞。歌うわ踊るわカイピリーニャを飲むわで大騒ぎ。

へとへとになりホテルへ。この時点では明日勃発する大惨事のことなど知る由もなく、全員ハッピーにおやすみを言い合って就寝。マスミはスヤスヤ、僕は強烈な時差ボケで眠れず。明日はレコーディングのためサン・パウロへ。

鳥頭国放浪記④三日目、リオ~サンパウロ

 

ホテルのロビーで鈴木さん、ヨシコちゃんと待ち合わせてタクシーに乗る。誰一人これから勃発する悲惨な出来事を予測できるものはなく全員上機嫌。シュビドゥンドゥン♪などと歌っておる。

リオのガレオン空港の国内線ターミナルに到着。GOL(ゴウと発音する)という航空会社。50分ほどのフライトでサン・パウロに到着した。

 SAIDA(出口)で徳島在住のブラジル人女性アマンダご一行が出迎えてくれている。娘のマリナ(お~い学校は?)、パウリスタの姪たち、そしてお姉さん。今日の録音スタジオはアマンダの知り合いのスタジオで彼女の家からも近い。しかもさすがブラジル、費用が安い!(と、この時点では思っていた)

タクシーとお姉さんのクルマに分乗して一路アマンダの姉さんの家へ。30分ほど走って到着、住宅街のマンションだ。全員が揃ったところで昼食。アマンダと姉さんの合作でフェイジョアーダ風の煮物、サラダ、パン、ビールなどで腹ごしらえ。あとで、このときのビールや、腹いっぱい食べた料理が悲劇を引き起こすとは神ならぬこのアタクシ、ツユ思わぬのであります。

 食事も終わり「さあ、行こう」ってことになりタクシーを呼んでもらおうとしたところ(だって近いという話だしギターケースも重いことだし)アマンダいわく、いやバスで行くほうが早い、と断固言い切るので一同ゾロゾロと大通りにでる。しばしバス待ち・・・・来た来たこのバスだ。ひえ~~~なかは満員でギターケースがジャマになるような状態。こちらのバスは面白いシステムで、車掌の少年!!にお金かチケットを渡すとその少年が客席へのゲートを開けてくれる、という方法。人件費の問題や低年齢層の労働の問題など短い時間に勉強になる。

道路はアップダウン激しく、ガッタガタなもんで、しゃべってると舌を噛みそうに。地元民よく立ってられるなあ。そんなバスに30分ほど乗ったところでアマンダから「オリルヨ」との指示。やれやれ、やっと着いた、いやあきつかったなあ今夜はマッサージでもたのもうかなあワハハハ・・・などと言っているとアマンダから「ナニシテル。チカテツノルヨ」とのお言葉・・・苦難は始まったばかりなのでした。

その後、地下鉄を乗り換えること3度。途中トイレに行きたい、というとアマンダから「さんぱうろノ、チカテツ、といれ、ナイヨ」との信じられないお言葉!あのおおおぼくね「けさからげりぎみなの」小さい声で言ったのだが無視される。現在の終末時計20分前くらい。

結局、地下鉄に2時間以上乗っていた。なんとかいう名前の駅について「ココカラたくしーノル」とアマンダがいうのだが、いっこうにタクシーなど影も形も匂いもない。日曜はタクシーも休みらしい。日本じゃありえない。

「アルクヨ、タブンワカル」げえーーーーっ「多分」かよ。その時点でお腹の終末時計はすでに秒読みの状態となっている。アタクシ冗談抜きで草むらを探しました。はい、もちろんそんなものは無く、じわじわとカタストロフの予感が・・・。

偶然、あるいは神の助けか一軒のコンビニ的な店があり、アマンダが「ミンナ、ココデ、ノミモノ買ッテ」アタクシ、異常なまでの動物的勘で店の奥にあるトイレを感知しいちもくさんに(以下、放送禁止)。キューバ危機で核戦争一歩手前の状態で回避されたごとく、悲劇の一歩手前で事態は収束した。やはり平和が一番。

店をでてしばらくあるくと定食屋(ランショネッチという)やパン屋(パンダリーアという)のある区域に来た。「アソコ、スタジオヨ」やれやれやっと到着。さっそくオーナーでありエンジニアのマルセロと握手、そして打ち合わせ。

時間もすでに夕方、即刻録音を始めよう、と言われたのだが長時間ギターケースをかかえた腕はもうヘロヘロ。とても弾く状態にはないのだが、ここは仕方がない。自分でブラジル録音を計画したのだから。

一曲目は自分自身のオリジナル「O castelo sem feliz」(喜びのない城)から録音する。まずはテンポ決め。マルセロがリズムマシーンでテンポを出してくれるのを、あーでもないこーでもないと言いつつテンポ決定。それに合わせてギターの基本トラックを弾く。あとのひとは僕のこの基本トラックに従って録音を重ねていく。え?なんで一度にしないんだって?同時に録音するとだれかが間違えるたびにやり直しになる、ということと、お互いのマイクが他者の音を拾ってのちのちミキシングがしづらい。などの理由。

さて、リズムが鳴り出した、ギターの出番・・・くくく、長時間ケースのハンドルをつかんでいたため指が震えて弾けない。不本意なまま録音は進む。この日、3曲録音した時点で本日分は終了。その日はアマンダの家に引き返し泊まることになっていたが、往復で6時間かかることや鈴木さん、ヨシコちゃん、マスミの疲労を思うとどうにかしなければ・・・とにかく一刻も早く休みたいよー。

鳥頭国放浪記⑤三日目サンパウロ、夜の彷徨

 

今回、驚いたことのひとつがパーカッションのヨシコちゃんの隠れた能力である。 普段はビールを大量に飲んでいるだけのひとかな、と思っていたら、さにあらず。彼女は危機になると俄然有能な女性であることを顕し、彼女のおかげで虎口を脱したのである。ではそのお話を・・・。

 録音が終了するすこし前に、僕はこう考えていた。「こりゃ今夜はアマンダんちで寝るなんてとうてい無理だ。アマンダは強くすすめてくるがこれはご辞退してスタジオ近辺のホテルで泊まって翌朝はやくに録音をはじめよう」てな考えだ。横でフムフムと聞いていたヨシコちゃん、黙ってIPAD・・・かなんか知らんがしきりに操作しておる。  なんと、近辺のホテルを調べ上げ、住所や電話を書いたかと思うとスタジオのスタッフに電話で予約をいれてもらっていた。しかも安くなるようにブッキングどっとこむ、なんちゃらのサイトで値段の調整までしておる。う~~~むむ、オヌシできる。僕が「疲れた」といってピーピー泣いているあいだに彼女はテキパキと危機管理をしていたのだ。うう有能だ。

すっかり日も暮れてスタジオをあとにする。タクシーで20分くらいの距離とおもわれるが、だんだん寂しい、それでいてヤバそうな地区にクルマは侵入していく。一応リベルダージという住所、あたりはとても暗い。あまりに不穏な雰囲気に全員緊張。こんなとこにホテルなんてあるのかよ。

運ちゃんも首をひねりながら「このへんのはずなんだけどなあ」(推測)などと不安げ。その時、偶然あるいは天の助けとしかいえないタイミングでヨシコちゃんとますみが同時に「あったあああ」と叫ぶ。暗~~~~い明かりのなか浮かぶ文字「FREE PALACE HOTEL」どこがパレス(宮殿)やねん。ボロボロやんけ。暗い街並みのなかにひっそり立つホテルに入る。なぜか中国趣味の内装。フロントにいたジャージ姿の白人男性が従業員だろう(たぶん)。部屋に案内され、女はおんな、男はおとこで1部屋ずつ。

部屋は寒く、すぐにエアコンを探したが何者かが蹴り壊したらしく、ひとめで用をなさないのがみてとれる。宮殿の従業員に見てくれ、というと「こりゃだめだね」とばかりに首をすくめるだけ。ほかの部屋はないというので、どうするんだと聞くと「コートを着て寝ろよ」とありがたいお言葉。

 とにかくお腹がすいているので食べ物屋を探しにヤバそうな通りに出る。暗い。かなたに定食屋(ランショネッチ)が開いている。やれうれしやと入ったこの店が序文に書いた「鳥頭ウェイトレス」の店であった。

鈴木さんとヨシコちゃんのお気に入り「ボエミオ」という銘柄のビールを注文。「おーけー」と愛想よく冷蔵庫に走るおねいちゃん。ビール瓶をつかんだ、こっちに持ってくる、しかも片手には栓抜き。完璧やあ、ブラジル居酒屋やあ・・・と、喜んだのはここまで。彼女の手には「SCOL」という別な銘柄の瓶が。しかも豪快にスッポーーーンと栓をいまにも抜こうとしている。全員が4部合唱で「待て待て待て待て」おねいちゃん、ポカーンとしておる

ね、ね、ほら銘柄が違うでしょ。欲しいのはボ・エ・ミ・オ、というとおねいちゃん、かわいい顔でSIM!という。ビールを探しにまた冷蔵庫に。また違う、しかも今度は瓶の王冠付近になにやら鳥のフ●らしきモノが・・・我々がそれを指摘するとおねいちゃんはニッコリ笑い、手でチャッチャッとその物質を払いのけ栓をスポーーンと抜きやがったのだ。もう抵抗する気もなく、ヘラヘラ笑いながらビールで乾杯したのだった。

もちろんおなじみのブラジル名物ブヨブヨパスタも大量に出てきました。超塩辛い鶏肉のローストもでてきました。でもこれを食べないと近くにはコンビニもない自販機もない危ない地域。

ワタクシ達の頭のなかに常に流れているテロップは「食べられるだけマシ。きりっと冷えてシュワっとしたビールもとにかく飲めたし。ああ、ありがたいナンマンダブナンマンダブ」であった。

一種の宗教的法悦のなか食事終了。ホテルにハブラシがなかったことを確認していたのでリカルデントというガムも買っておいた。いつもなら「歯を磨かずに寝るのは気持ちわるいからどんな状態でも歯磨きだけはしてから寝るんだ俺。」などというたるんだ気持ちではブラジル生活は営めない。ガムをみんなに配給してこれで磨いたつもりっ。

さて宿にむかって暗い歩道を歩いていると、驚いたことに安全柵もなにもなく道路工事の途中でもあるのか大きく深い穴が歩道のド真ん中にポッカリあいている。人ひとりが軽く入る大きさだ。あわててみんなで歩行に急ブレーキをかけ、そ~~~と、その穴を回避。ホテルに帰り部屋に戻り、めっちゃ熱いか冷たいかしかないシャワーを浴び毛布グルグル巻きになりながら浅い眠りにおちた。

鳥頭国放浪記⑥四日目、サンパウロ録音終了

 

ホテルで目覚めると、外は車の騒音やひとびとの話し声でけっこう騒がしい。いやあ、昨夜も楽しませていただきました。深夜まで大音響でがなりたてる近所の店から聞こえるヒップホップのドンシャリ音。ますみの話によると、一晩中廊下でピンポン玉を壁にうちつけるような音がずーーーっと鳴り止まないのだそうだ、怪奇。しかもヘアドライヤーが備え付けられておらず髪びしょびしょに近い状態で寝た、とのこと。

 こんな状態にもかかわらず、我々全員の心のなかは神への感謝でいっぱい。つまり、さんざんな状態だけど「生きてる」ってことですな。普段はこまかいことがらにこだわって、重箱のスミをつついて文句いうような、そんなアタクシが「とにかく生きてる」ってことに感謝をしてる!ああブラジル恐るべし。

 で、タクシーに乗り昨日と同じスタジオ、その名もStudio Pedrada。プルデンチという地区の住宅街にある。けっこう周りはエエシの家が多い。朝早いがマルセロはすでに待っていてくれた。

さっそく録音。移動が楽だったので昨日のように指がふるえたりすることなく普通にギターが弾けることのありがたさよ。ここでまたも神に感謝。

昼食を近所のシュラスコ店で食べ(エンジニアのマルセロはバイキングででてくるスシ、ばかり食べており、ワサビが大好きとのこと)

録音再開。今回7曲がブラジル録音予定で、その他は東京にて仕上げる。ミキシングルームにアマンダのお姉さんや姪、娘のマリナらがどやどや入ってきて現在録音中のサンバに合わせて踊りまくっている。なんだかミキシングルームはパーティー状態でにぎやかだ。

なんとか7曲終了。さて支払いを・・・という段になって問題発生。当初日本で聞いていた金額の7倍の金額を提示された。つまり僕が聞いていた金額は1曲あたりの金額だ、との主張だ。これじゃ日本で録音するのとあまり変わらない、いやむしろ高いくらいだ。

軽い抗議をして少し値下げしてもらう。やや残念な幕切れだがしかたない。異郷の地で録音するのだからある程度のリスクはしかるべきと思わなければ・・・。なんせこんなことがあるにもかかわらず、とにかく「生きてる」ことに感謝。

 荷物をまとめ明朝はやい便にてリオへ帰ることにする。帰りさえすれば、午前中余裕があるので、その日の深夜に帰国するヨシコちゃんにもしんどい思いをさせた分、コパカバーナの海岸のカフェででもゆっくりビールでも飲んでもらおう、鈴木さんにも罪滅ぼしをさせていただこう・・・などと思っていたアマちゃんの私。なぜアマちゃん?空港近くのホテルへ行くつもりで乗ったタクシー。この運ちゃん(大柄なじいちゃん)が道をまったく知らないくせにめちゃくちゃな道を爆走するドライバーと知った時、しかも規定以上の運賃を請求された時にアマちゃんと感じたのか? いえいえ。では、やっとホテルを見つけたものの近辺には一切の店舗が無く、閉店ギリギリのホテルの食堂で、まずいピザ(夕食がピザかよトホホホホ)と山盛りのフライドポテトをツマミに、白ワインを注文したのにみごと赤ワインを持ってこられたとき(無論、抗議せずそのまま飲む)に感じた気持ちか?いえいえ、そうではありません。この旅、最大の落ち込んだ気持ちは、翌早朝にサンパウロのグアルーリョス空港にていやっちゅうほど思い知らされるのありました。

鳥頭国放浪記⑦五日目、リオの灯は遠く。

 

翌朝、全員午前4時起床。いえいえ釣りにいくのではございませぬ。念のため空港へ早めにいっとかないと、もしものことがあるとリオへ帰れないもんね。石橋を叩いて渡る良い子のワタシタチ。

サンパウロ、グアルーリョス空港には午前5時着。もたもたと手際がわるいチェックインカウンターの職員。いやあ早めに来てよかったなあ、まあまだ余裕あり。軽食コーナーにてコッシーニャ(水滴型のコロッケ状のスナック)やタルトなどで腹ごしらえ。あと30分後に最大の脱力事変が待ち構えているとも知らずに朝ビ(ビール)をあおり「ウマイッ」などとのんきなものだ。さて搭乗ゲートは国内線用の一階にありバスに乗って飛行機まで行くことになっている。

ところが・・・出発10分前になっても、どのゲートから乗り込むのかの表示がない。係員にきいてみた。「どこ?このフライトナンバ-のゲート」回答「CANCELED」「え?なんて?カン詰め食べたい?」「NO, THIS FLIGHT CANCELD」「え?フライのカン詰め食べたい?」「EEKAGEN NI SENKAI」なんとブラジルでは、お客が少ないなどの理由で航空会社が勝手に便をキャンセルしてしまうことが多々あるのだとか。

アタクシの頭脳に響き渡るサウンド。「がーん、がーん、がーん」もうねえ・・・へこみました・・・ああ、へこみましたとも。早々にリオに着いてマスミにも、鈴木さんにも、ヨシコちゃんにも涼風の吹くコパカバーナの海岸わきのカフェで冷たいビールでもングング、ぷはーーーっと飲んでもらって、疲れを癒してもらおうと思っていたのに、こんなんいつになったらリオに帰れるんじゃい(怒)!しかし、現実には僕は空港のイスにお山座り(靴は脱いでます)して、立膝した両の膝のあいだに自分の顔を差し込んで、世間との交信を絶つという典型的なメソメソ姿勢をとってむせび泣くばかり。あまりの僕の落ち込みようにヨシコちゃんが「ヤスオさんつらそうやけど大丈夫?」と見るにみかねて聞いてくれた。普通ならニコッと笑い「ははは、なんのなんのこれしきのこと」などと心配かけまいと配慮するのだが、この場合あまりにうちひしがれたので、以下のような答えだった。「ええねん、もう僕なんかもうええねん」一体なにが「ええねん」なのか意味不明の返事をしたのだった。

いや、泣いとるバヤイでないぞ。チカラをふりしぼってカウンターに行き係員に聞いた。「どうする我々のチケット」「2時間後、9時のフライトを待て」「2時間!!!!!!」「シカリ」「チケット、必要か?書き換え」「いや、待て、そのまま」「ほんまか?ワレ」(ガラがわるくなってしまった)

再び膝の間に顔を差し込んだポーズで1時間半経過・・・やっと次のリオ行きの便に乗り込みが始まったが、まだ心底警戒は解いてはならぬ。いつまた「ごめんごめん、ま~た飛行機の調子がわるくなっちゃってさあ、わるいけど一旦降りてくれるかな?アッハハハ」

などという事態になるやも知れぬ。もはや疑心暗鬼のカタマリとなっていて、飛行機が無事飛び立ってリオが見えてきても「えへへへへ飛行機のアシが出なくてサンパウロへ帰りま~~~~す」などという事態さえ想像したが、なんと無事着陸。またしても神に感謝したのだった。

鳥頭国放浪記⑧五日目、リオが好きじゃーーー

 

飛行機からリオの地に降り立ったとき、ホンマにリオの大地にチューをしてやろうかと思ったくらいリオへの帰着は嬉しいものだった。深夜にドバイへ発つヨシコちゃんの荷物を空港内のロッカーに預け、全員タクシーに乗る。完全にリラックスした車内では「昼食は何を食べるか」の会議となる。マスミが、バイーア料理の「ムケッカ」という魚介のココナッツミルク煮込みを強力にプッシュ。全員賛同し、昼食はコパカバーナ海岸のモンデゴ(MONDEGO)というレストランに入る。

非常に濃い顔・・・例えていうなら、パンチパーマにした白人の大仏さん(まあもともと大仏さんは螺髪・・・らほつ、というクルクルした髪なのでパンチパーマっぽい)みたいな貫禄あるウェイターが満面の笑みで近寄ってくる。ボンジーア、なにを召し上がりますか?我々は身構えながら「せるべーじゃ、ぼえみお」つまり懲りもせず、ボエミオという銘柄のビールを注文・・・あっけなく注文通りのボエミオが来て、心なしか僕は物足りなさを、つまり「間違えてくれなおもろないやん」というアホアホ思想に毒されている自分に気づき、思わず自らのホッペタを張り倒した。「これでええねん、おおとんねん」と悪夢からのがれたもののように現実世界への帰還を実感した。

その後、魚介のココナッツミルク煮込み「ムケッカ」やバカリャウ(タラに似た白身魚)のコロッケ、牛肉の煮込みなどを大量のビールやワインで食いまくったのだった。

 ふと・・・遠くから・・・サンバが・・・・聞こえる!ジョルジ・アラガオンの大ヒット、サンバアレンジしたグノーの「アベ・マリア」だ。3人組のサンバ・ユニットが演奏しながらこちらへ向かってくる。こういう大道芸人の相手になったらアカン、ということはわかっていながら、僕と鈴木さんはついつい一緒に歌ってしまった。♪あ~~~~べ~~~~~~まありいいいいいあ~~~~~♪などと。

芸人さんたちは「しめた!」とばかり我々のテーブルに粘着。金ください、と顔に書いてある彼らは立ち去らない。根負けし、泣く泣く金を出して帰っていただく。思えばこんなのは、僕が3歳くらいの子供のころ、家の前でパフォーマンスして立ち去らない獅子舞のあまりの恐さに、その日もらったお年玉を進呈してようやく獅子舞様に帰っていただいて以来だ。

食後、ヨシコちゃんと鈴木さんとは一旦別れ、夕方の再会を約す。その間、僕とマスミは念願だったセントロ(旧市街)の楽器屋巡りへ(結果からいうとサンバ楽器は隅に追いやられており、ロック用のギターなどが幅をきかせている。泣きたい気分)そして美しい街並みの旧市街を散歩。疲れたのでポルトガル様式のカフェでくつろぐ。ホテルへ帰る地下鉄でも、我々がまごついているとすぐにリオの人々がどうしたんだ?と言って助けに来てくれる。この街がやはり好きだ。私のリオ。

夕食はまたもやヨシコ、鈴木、マスミ、僕でシンヂカート・ショッピという日本のガイドブックにも出ている店で食べ、飲む。偶然我々のテーブルを担当したボーイさんがガイドブックの写真にでているひとだったので、「これ、あんただよ」と言って記念撮影。

お腹いっぱいになりワインもいい感じにまわった。しめった潮風に吹かれて、海岸沿いの夜店でみやげものを買う。ヨシコちゃんのリオ滞在はあと2時間くらいだ。

 時間が来た。ヨシコちゃんをタクシーに乗せ、ガレオン空港へ送り出す。ひとり欠けただけでこの淋しさはなんだろう。鈴木さんとおやすみを言い合って眠りにつく。長い一日だった。

鳥頭国放浪記⑨六日目、やっと観光客

 

普通の時間に目覚める・・・午前7時ってか。くくく、サラリーマン根性が抜けない悲しい佐賀・・・・性でした。

フロントロビーに行き、観光業者が主催するツアーを申し込む。おそらく主要なリオの観光拠点はほとんど網羅している内容だ。コルコバード、パウンヂアスーカル、マラカナンスタジアム、サンボードロモ、セントロのカテドラルと山盛りハラ一杯のメニューだ。

ロビーで待っていると定刻にツアーバス(12人乗り)が来る。なんだ、定刻かよ・・・あ!いけねえ、この地に毒されておる。我々がピックアップ最後のグループで、先に乗り込んでいる各国のみなさんにごあいさつ。「ハジメマシーテ、にっぽんじんデス!」マスミのポルトガル語が妙にウケる。スペインやコロンビア、中国(それらしきひとはいなかったけど)の人たちとのこと。ガイドはおじいちゃんのホナウドさん、英語の発音はナマっていてほとんど聞きとれない。

まずはおなじみコルコバードへ。超有名なボサノバに歌われた舞台で、リオを見下ろす巨大なキリスト像のある場所。バスはなつかしい山道を猛スピードで駆け上がる。山の切れ目から白いキリスト像が垣間見える。頂上。蚊か羽蟻みたいな虫がわんわん飛んでる。歩く間に僕とマスミは虫よけスプレーをふりかける。同じツアーの人たちがうらやましそうに見るので「必要ですか?」と問うと、みんな「ハイ、オネガイシマス」というので、順番にスプレーしてあげる。なんだか少し距離が縮まった。その中のひとり、南米系のオジサンが英語で聞いてきた。「ニホンゴで“ぐっどもーにんぐ”はなんて言うんだい?」「ええ“おはようございます”といいます」「え?なんだって」「あ、カジュアルな言い方では“おはよう”です」「オハイオ?」「あはははは、そうですUSAのオハイオの発音でいいです」「じゃあ、オハイオ!」「ははは、オハイオ!」そんなことをしゃべりながらどんどん登っていく。

 キリスト像のうしろ。大きい。また会えた。空は晴れて痛いほどの太陽。前に廻る。キリストさまになぜか「ありがとうございます」と心のなかでお礼を申し上げる。いろんな角度で見てもずっと僕を見ている。もちろん他のひとたちもまったく同じ感想を持ったはずだ。しばらくぼーーっと見あげる。

やがて集合時間。やはりオンタイムで来たのは我々ニホンジンだけ。ホナウドじいちゃんにほめられ複雑なキモチ。金髪の幼稚園児(だと思う)アマンダにいたっては、はるかに時間が過ぎても来ない。やっと来た。トイレに行っていたんだと・・・怒っているひとなどいない、のんびりしたものだ。

さて出発。カーニヴァルの会場「サンボードロモ」、もちろんその前でサンバステップ。続いてリオ中心部にあるカテドラル。現代的なコンクリート打ちっぱなしの建物だが形状はインカ文明のピラミッドを模してあるとのこと。なかは一万人収容。荘厳な教会内部は薄暗く、天井と四方の壁面がステンドグラスで飾られている。光が降ってくる。中央の祭壇のうえには中空に十字架。もちろんデウスがおわす。敬虔な気持ちも、一歩外に出れば灼熱の日射し。次はサッカー、ワールドカップのメイン会場となるマラカナンスタジアム。なんと十万人収容。スタジアムの前では物売りたちがサンバホイッスルを吹いたりしていてのどかだ。ガイドのホナウドさんがホイッスルを買い求め、我々ツアー客を集めるときピピピp―――――などと吹いている。みんな苦笑。

最後の目的地パウンヂアスーカル(砂糖パン)へ(以下PAと略す)。PAは二つの急峻な小山がまるでセットのように、あるいは伊勢の二見が浦のように美しく対比された天然のオブジェ。ふもとからまず低い方の山へのケーブルカーに乗る。かなりのスピードでケーブルカーがすれ違うたびに観光客から「おおおーーー」という歓声があがる。眼下は美しい公園。観光客で一杯だ。

一つ目の山に到達。ケーブルカーを降り、次のケーブルカー乗り場への植物園のなかをそぞろ歩く。涼しい空気に吹かれていい気分。熱帯の植物と鳥の声。パライーゾ(天国)なのかも知れないな、ここは。

大きいほうの山へのケーブルカー。走り出すと真下は海。かなりの高度でスリル満点。一番高いところに到着。集合時間までは自由時間。我々は東側に移動。熱帯植物で遊んでいる大きなトケゲのおっさんと遊ぶ。よくまあこんなデカイとかげがなにげに歩いているものだ。前を見るとリオデジャネイロ(一月の川)という名前の由来となった海が見えるなんでも、この地に入植したポルトガル人たちは、海の湾であるにもかかわらず幅が狭いため川の河口と勘違いしたところ、この土地の名前が生まれたらしい。美しいグアナバラ湾、すぐ前のサントス・ドゥモン空港から発着する飛行機たち。通勤用のおびただしい数のヘリコプター、トンビの群れ・・・。

帰る時間が来た。またこの地を訪れる日は来るのだろうか。

鳥頭国放浪記⑩七日目、ボサノバ聖地巡礼

 

リオ名所ツアーは無事終了。我々のホテルに一番先に到着。バスから降りてホテル玄関前でツアーの皆さんにあいさつ。チャオ!グッド・バイ!とバスの皆さんに言うとみんな窓を開けたりドアを開けたりして全員が大きな声で「グッバーーーーイ!!」と叫んでくれた。ホテルマン達が何事かとびっくりしている。おたがいが手を振りあううちバスは発車。なんだか友達との別れみたいでサウダージな気分。

部屋でシャワーののち、夕方から鈴木さんと、鈴木さんの知り合いで現地で唄の勉強をされている「さおりさん」という女性と待ち合わせ。夕食に向かう。

僕はどうしてもしゃっきりした麺が食べたくなり、近所の中華料理店を指さすと他の3人からは一瞬鼻で笑われた。ぶへへへ中華かよ、といわれそうな雰囲気のなかあきらめているとみんな結局中華でいい、ということになった。なんだよ。

ビールや紹興酒を飲みながら、担担麺やマーボ豆腐などを食べる。なんだか久しぶりの醤油が懐かしい。そしてけっこううまい。

さて、ここからがボサノバ好きのひとは涙なくして見れない店へ。え?どこだって?   ふふ、しれたことよ。名曲「イパネマの娘」が生まれた、その名も“GAROTA DE IPANEMA”だ!まあ、ひれ伏すしかないこの名前。イパネマの高級住宅街の一角にありました。さぞなかでは、おしゃれかつサウダージな雰囲気の客がしずかにビールやカフェを飲みながらボサノバに浸っているのだろうと思いきや・・・なんじゃこれは!鶴橋の焼肉屋と変われへんやんけ!なんでも名物の牛肉のグリルが大人気で、みなさんそいつをお目当てでこの店に押し寄せるらしい。なるほど、ほとんどの客が肉のグリルを注文していて我々のグルリはみなグリル。ちゃんちゃん♪ (音程はソ、ド、でおねがいします。)

中華で満腹の私たち。カイピリーニャやらカフェをおとなしく飲む。もちろんここでトム・ジョビンとヴイニシウスが、横をすり抜けていくビキニ姿も眩しい美少女エロイーザにインスパイアされてイパネマの娘を作った、などという黄金伝説をほうふつとさせる雰囲気など無し。壁に貼られた曲の譜面の拡大ポスターや販売するTシャツのロゴに、わずかにそのおもかげを残すばかり。

ちなみにこの焼肉(あえてグリルではなく焼肉といわせていただく)、あまりの人気にボタフォゴにも支店を出したそうな。その名もガロッタ・ジ・ボタフォゴ。商売繁盛おめでとう。

さて、店を出るため焼肉の煙がモウモウと(牛肉だけにね、ちゃんちゃん♪)たちこめるなか出口へ・・・これで終わりではないのです。すぐ向かいに、なんとヴィニシウス・ヂ・モラエス(イパネマの娘、ほか有名なボサノバやサンバの作詞家)の遺族が経営する、その名も「ヴィニシウス・バール」がおわし、ここまで来てこれをほっとけますか?いいやほっとけません。私たちライブスペースのある二階へ上がり席につく。ほどなくライブが始まる。流ちょうな英語でMCするオッサン。ああ前説のひとや・・・と思いきやこのオッサンがギターを持って歌いだした。

結論からいいます。かなり残念なレベルでボサノバの名曲を次々と・・・。マスミに至っては完全に寝落ちしておる。

ステージ終了。すばやく店を出る。リオの3大がっかり名所に2店とも即認定。3つのうちもうひとつがなにかは知らんが、この至近距離に2店が占めたことは快挙と申せましょう。

みんなダウナーな気分で力なく、えへへへへへなどと笑っている。もう帰ろうね、だよねえ、ということとなりタクシーに乗る。まずはさおりさんを送り、次に我々と鈴木さんが降りるコパへ。もちろん2地点を同時にタクシーの運転手に告げると混乱するのでひとつずつ言う。ブラジル学習の成果だ。タクシーの右側には美しいイパネマ海岸、そしてコパカバーナ海岸の夜の景色。みんないろんな楽しみ方をしている。サッカーボールを蹴りあう若者。花火を見ている恋人たち。砂浜のバールでビールを飲むおじさん。夜店をひやかす観光客。またそれらに必死で言い寄る店の売り子たち。

ブラジルの旅も残るはあと一日。鈴木さんはこれからまだリオに残り、しばらく居たあとスペイン~パリを経由して日本に戻る。しかし戻ったとたん韓国への客船内での音楽担当の仕事が入っており、ゆっくり日本に帰るのは6月になる。

明日は最後の一日を鈴木さんの案内でファベーラへ。ファベーラとは丘に築かれたスラム街。映画のシティオブゴッドでイメージされると思う。しかし現在はオリンピックやワールドカップ開催にむけて治安改善のため、子ども手当の支給や警察の常駐(実際日本の交番のようなものもあった)などがあり、それらのおかげで犯罪はおさえこまれているのだ。鈴木さんの宿舎は有名なバビロニアのファベーラにあり、近所によく行くレストランがあるとのこと、そこで昼食を。そして夜には、我々は空港に移動してフライトを待つばかり・・・と思っていたら、夕方、リオ最後のわずかな時間に、旅の神様が用意してくれた最大の贈り物があった。最後の最後に忘れえぬ出来事がまっていた。

次の章でこの旅行記は閉じようとおもいます。

鳥頭国放浪記⑪最終章、リオ・サウダージ

 

 最終日の朝も、いつものように7時半頃に起床。ホテルは朝食付きなので一階にあるレストランへ。ここはいつもパンとジュースが美味しい。太陽をたっぷり吸った果実がはじけるようなジュースだ。

昨夜、おもしろい店を発見しており、しかも朝9時半開店というありえない時間のオープン。店名は“BOSSANOVACOMPANHIA”ボサノバの会社?ってなことだろうか(辞書を見ろよ)。しかもホテルのすぐ裏側。行ってみた・・・そこは宝の山だった。サンバ、ショーロ、ボサノバの譜面、CD、伝記など、日本で探したが手に入らなかったモノがどっさりある。ええ、買いましたとも譜面、CD。マスミはトートバッグを買っており、なんと懐かしのエレンコレーベルのレコードジャケットを彷彿させる泣かせるデザイン。

バーデンやジョアン・ジルベルトの使用しているギター「ディ・ジョルジオ」も売っていたが、僕の好みの音色ではなかったため却下。オタカラを手にウハウハ言いながら隣の通りへと出た。そこで我々が目にしたもの・・・大好きな市場(朝市の大規模なやつ、フェイラ)がドーンとかなりの規模で出店している。もう嬉しくなってしまい、観光客など誰もいないその現地人市場へズイズイ入っていく。大型トラックを改造した魚屋にはおなじみのバカリャウがズラリ。おもしろかったのはカリオカたちもけっこうタコを食べること。嬉しくなった。八百屋では新鮮なトマトやイモなどが並んでいるし、やはりブラジルも単身者が多いのか、カット野菜がけっこう売られていた。

ある果物屋の前を通り過ぎようとしたとき、そこの黒人のにいちゃんが「食べろ」といってイチゴを差し出してきた。ちょっと警戒して「Nao obrigado(のうさんきゅう)」と返したが「いいから食べろ、ほれほれうまいぞー」ま、少しくらいは金を払ってもしかたないなと思い食べてみた。絶句・・・うまいなんてものじゃない。太陽がイチゴの形になってるとしか思えない、パワーに溢れたイチゴだった。「Muito bem(べりいぐっど)」「Gostoso(でりしゃす)」と心から褒めると、にいちゃんはがぜん気を良くしたのか、これを食え、次はこれだとばかりメロン、チェリモヤ、マンゴーなど次々に切って食べさせてくれる。「いやあ、これはかなり金をとられるな」と思い「くあんとくすた?(おいくらですか)」と聞くと「NAO(金はいらない)!」と強い口調でいわれた。ゲス野郎は僕のほうだったのだ。おいしい、ありがとうを何度繰り返しただろう。さて行こうかというときに、もうひとつなじみのある果物が差し出された。名前までおなじみ。「これはKAKIだ」「うん日本でもカキ(柿)というんだよ」「おお、ほんとかよ!」信じられないが柿はブラジルでもカキだった。なんだかジーンとなってしまい、カキは甘いのにちょい泣きそうに・・・。柿でサウダージ、てなサンバを作曲しようかしらん。

市場を離れ、すぐ前のビーチへ。ジョビンの曲のとおりに2つの凧が舞っている。頭のなかを“TWO KITE”のメロディーが流れている。ああ、ギター弾きたくなってきた。

お昼近くになってきた。今日は一大イベント、鈴木さんが宿泊するファベーラ、その名もバビロニアというファベーラだ。この名前にピーーーンときた人、あなたは相当の映画通「黒いオルフェ」という映画の舞台になったのがこのファベーラ。主人公オルフェウがギターをつま弾きながら子供たちに言う。「僕はこのギターで太陽を昇らせることができるんだ。」と弾きだすのが名曲「カーニバルの朝」通称黒いオルフェ。そのファベーラにある鈴木さんお気に入りのレストラン「BAR DO DAVID(バール・ド・ダビ)」、

なんでも最近、リオのおつまみコンテストで2位に輝いたとかの人気店。

鈴木さんと落ち合い、レーメ地区の高級マンション通りを歩いていると横にいきなりファベーラの登り口。車は中腹までしか入れないため、バイクタクシーが客待ちをしており、客が付くと後ろの席に座らせ運転手の腰に手をまわして猛スピードで指定場所まで駆け上がる。鈴木さんいわく「こわいよー、やめたほうがいい」んで、我々はエイコーラー、エイコーラーと登っていく。着いた中腹の広場にダビの食堂はあった。鈴木さんとダビがやあやあと挨拶、我々を紹介してくれる。彼らはニホンから来たんだ、おおそうかい俺は神戸のフェスティバル(神戸まつりのこと)に行ったことがあるぜ、ニホンゴもしゃべれるぜ、コニチワ、アリガト・・・はいはいわかりました。早よゴハン食べさせて。今日はエビがうまいよ・・・とダビがいうのでエビのシチュー、バカリャウのボリーニョ、フェジョンと肉のセットなどオーダー。うむ、どれもうまい。

まわりには自動小銃を持った警官がウヨウヨ。力で治安を保っているのだ。で、警官もいっしょにゴハンを食べておりなごやかな感じではある。ダビの店の制服があまりに素敵だったので日本に居残りのパーカッションのトミヤンに買ってやる。

さてゴハン終了。さらに上にむかい登っていく。ここからは道路はなく階段だけだ。暑い、汗が噴き出る。階段にたたずんでいるノラ犬と目が合う。なんだかすべての希望を投げ捨てたかのような悲しい目をしている。犬に「BOA TARDE(コンニチハ)」と言ってみる。静かに僕の目を見返してくれた。マスミは大のお気に入り、アサイーのスムージーを食べながら快調に登る。すれ違う住人や家を建てている大工さんたちにも「BOA TARDE」と挨拶している。あとで聞くと、必ず先方から挨拶してくれるのだそうだ。

鈴木さんの部屋は4人のドミトリー。日本人経営で清潔かつ快適そうだ。モーホ(丘)の頂上では我々に手を振るひとなつっこい住民たち。風に吹かれながら下界を見下ろすとイパネマやレブロンのビーチが見える。直線距離でわずか200mくらいなのだが、残酷なくらい生活レベルが隔絶している。前回も感じたことだがリオや香港には光と影。天国と地獄がすぐ近くに同居しており、光が眩しく強いほど影は色濃く闇を作る。身を挺して働く少年や少女。毎日銃弾におびえるファベーラの人々。サンバのうちに流れる悲しみが解ったように錯覚する瞬間だ。自分自身ブルースを長年やってきたが、今思うに、ここから比べるとブルースなど上流階級の音楽のような気持ちになる。そんなブルージーな気分より、今大事なのは「サウダージ」。胸がキュンとなるファベーラでのひと時も終わり、下界に向かい歩き出す。鈴木さんにも別れを告げる。本当にブラジルではお世話になりました。日本で、そして仕上げ録音の東京のスタジオでまたお会いしましょう。なんて感じでごあいさつ。これもまたサウダージ。

ホテルに帰り荷物をまとめる。マスミはパッキングの天才で運送会社なら間違いなく荷造り部長である(まあ、そんなポスト有るのかないのか知らんが)。スーツケース1個にアーラ不思議全部入った。しかし 重ッ!!! 

今夜真夜中12時くらいにホテルを発つことをフロントに告げ、ホテル提携のタクシーを頼む。残るあと数時間・・・空白のような時間と思っていたのだが、旅の神様は一番最後にご褒美を用意して待っていてくれた。

 ブラジルでラストになる食事。遠出はめんどくさいのでホテルから一番近くてビーチに面した「MABS」というレストランに入った。もうビールはどんな銘柄もOKなので「SCOL」というポピュラーなものにした。パスタ(やっぱりブヨブヨ笑)など食べながら聴いていたのはTONNYという名前の大柄な黒人シンガーの弾き語り。今風なMPB(ブラジルポップス)が続く、ジャズの素養もあるようだ。そのうちサンバを歌い出し、曲が終わったとき我々が大きく拍手した。サンキューサンキューとTONNYは笑顔。その後サンバ中心に歌う。1セット目が終わったらしく、20分休憩をいただきますといって客席の自分の奥さんだか彼女のところに行き二言三言かわしてこちらをみた。笑顔で我々の席にやって来て「さきほどはありがとう、拍手うれしかったよ。ところで日本人かい?」「YES」「ブラジルの音楽は好きかい?」「大好きだよ、実際日本で演奏もしてるんだ」「サンバやボサノバかい?」「もちろん、でもあなたほどハイレベルではないけれど(べんちゃら)」「次のセットでコールするから僕のギターを使って演奏してくれないか」「ありがとう!感謝するよ」なんとリオで、しかも世界各国の観光客のまえで演奏できることとなった。客もほぼ満員となり、これ以上ないお膳立てとなって。

そして休憩終了。トニーがマイクを持ってにっこりしながら客の注目をひく。「こんばんは、みなさん。今夜は日本から素敵な友達(いつのまに)が来てくれました。MASUMI&YASUOです!」いままでざわついていた客が、何事だというように静まって、演奏ブースを注目。初めて触るギター、音決めやセッティング一切なし。正真正銘の一発勝負。静かに「捧ぐるは愛のみ」のイントロを弾きだす。まあつまりギター君に、君はどんなやつだい?と会話しながら打ち合わせているのだ。だいたい弦の張力がきついこと、チューニングはしっかりしていることを確認して、マスミに目配せ。一気に「ジェット機のサンバ」へつなげる。Minha alma canta・・・♪客がステップを踏みだした。上体を揺らしているおばさんもいる。間奏は「宇宙飛行士」バーデン師匠ありがとうございます。そこから同じキーのWAVEへ。Vou te contar・・・♪

たしか、アンコールでもう1曲やったと思うが、なにをやったか忘れてしまった。拍手。口笛。こっちがおどろいた。席に付いたが、拍手がやまないためその場でもう一度立ち上がって礼をする。みんなニコニコしてこっちを見ている。BRAVO!の声もあがった。旅の神様、ありがとう!最後の最後にこんなご褒美をくれるなんて。

そろそろ飛行機の時間が迫ったので、演奏中に申し訳ないが退席しようとした。するとトニーは曲を中断して「みなさま、日本からの素敵な友達、イアシュ&マシュミでした(すでに変形している、でもメモを見ないで我々の名前を憶えてくれてた)、もう一度拍手を!」わーっとみんな拍手で送り出してくれた。一人だけおばちゃんがスタンディング・オベイションをしてくれた。なんて素敵なひとびと、なんて素敵な街。トニーそしてリオ、ありがとう!

 

ホテルに帰る。さきほどまでの喧騒が嘘のようだ。静かな部屋に鍵をかけフロントへ。タクシーは待っていてくれた。4年前はフロントにいたMONA嬢が別れを惜しんでくれたが、いまはもういない。運転手に「GAREAO(ガレオン空港)」と告げタクシーに乗り込む。英語がしゃべれない運転手は、最初だまって運転していたがサービス精神がでたのだろう、景色を指さしながら「これがサンバカーニバル会場だよ」「素晴らしいね」こいつら少しだけポルトガル語がわかると思ったか、どんどんしゃべってくるので「ワタチタチ、アマリぽるとがる語ワカルナイ」「いやいや十分上手だよ」「アリガト」それからは、たぶん以下のようなことを話してくれた・・・と思う。サッカーが好きでアマチュアチームに入っている。父はアメリカーノだ。へえ、じゃあお母さんがブラジル人?オフクロはフラメンゴだ・・・国籍ではなく応援しているチームのことだとわかり車内爆笑となる。笑ったあと、小さいが素敵な出来事にまた胸がキュンとなる。空港に着いた。運ちゃんが握手をしてくる。チャオ!チャオ!と言い合い、エミレーツにチェックイン。定刻に(定刻かよ・・・ってもうええねん)

離陸、午前2時。眼下にリオの町明かりが見える。

旅ももうすぐ終わろうとしている。

またこの国の夢を見る。

 

おわり。